安曇野市

季節の話題
TOPICS AZUMINO
2001 - 2004

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季節の話題 TOPICS AZUMINO 2001 - 2004

 このページは、管理人ひろさくが各地を訪ね拾い集めた「季節の話題」のなかから、徒然なるままに書き記したものです。特定の分野に限定せず、管理人の思いつくまま、気の向くまま、町や村の話題を取り上げていますので、関心を持たれた場所だけご覧ください。更新は不定期ですのであしからず。
【注意】 平成十七年十月一日、新たに「安曇野市」として発足しましたが、ここでは合併前の町村名で表示しています。

 TOPICS AZUMINO 2001-2004
  農産物加工・販売センター 「 Vif 穂高 」 ( 2004. 12. 18 )
  第十八回アヤメフェスティバル 2002 ( 2002. 6. 23 )
  穂高神社の御遷宮祭 ( 2002. 5. 25 )
  開設五周年記念 「道の駅ほりがねの里・物産まつり」 ( 2001. 5. 26 )
  穂高神社の奉射祭 ( 2001. 3. 17 )
  JR明科駅に特急停車 ( 2001. 3. 3 )
  穂高神社の節分祭 ( 2001. 2. 3 )
  豊科町一乗寺 安曇野節分祭 ( 2001. 2. 3 )
  豊科町新田 福俵引き ( 2001. 1. 14 )
  穂高神社への初詣 ( 2001. 1. 4 )


農産物加工・販売センター「 Vif 穂高 」

 農産物加工・販売センター 「 Vif 穂高 」 ( 2004. 12. 18 )
この看板が目印!
 「 Vif 穂高 」(びふほたか)は、穂高町有明の通称・山麓線に平成十五年七月完成した農産物加工・販売センターで、地元農産物の直売所「いち番館」とレストラン「味彩館」(あじさいかん)が入る建物と、体験施設を備える「ふれあい体験館」の二棟からなる。
 「いち番館」のおススメは、安価で手に入る地元産の新鮮な農産物。「味彩館」は、地元の素材を生かしたメニューで、なかでも「安曇野ますのから揚げ丼」「町民定食」「そばの冷製スパゲティ」などが人気とか。
 別棟の「ふれあい体験館」では、「そば打ち」「わさび漬け」「豆腐作り」「手作り湯葉」「やしょうま作り」「焼きたてパン作り」「おやき作り」などの加工体験ができるようになっている。もし穂高に滞在する機会があったなら、じっくり地元に伝わる手法を学んでみてもいいだろう。(「そば打ち」以外は、前日までに予約が必要)

 Vif (びふ)穂高 南安曇郡穂高町大字有明 7751-1
 TEL 0263-81-5656 FAX 0263-83-5223
  南安曇郡穂高町大字有明付近 ( 1 / 75000 )
  http://www.vif-hotaka.jp

<管理人ひろさく>
 山麓線にはお洒落な建物がたくさんあるわけですが、そのなかで「 Vif 穂高 」もなかなかなモノ、というのが初めて訪ねてみての感想です。きっと都会から訪れる観光客の皆さんや地元の若モノを意識してのことなのでしょうね。さまざまなイベントが企画されているとのことなので、ホームページでチェックして出かけてみましょ。

この記事は、平成 16年 12月 18日現在のものです。 
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龍門淵公園の「あやめ」

 第十八回アヤメフェスティバル 2002 ( 2002. 6. 23 )
 明科町の龍門渕公園・あやめ公園( 地図 )で二十二日(土)・二十三日(日)の両日、今回で十八回目となる「アヤメフェスティバル」が開催された。見ごろを迎えた公園では、梅雨空にもかかわらず、紫や白の花びらに水玉をのせて咲くアヤメの姿を見ようと訪れる人たちで賑わった。
 イベント初日の二十二日は、龍門渕公園を横切る前川が会場の「にじますカップスラローム大会」や犀川河畔の御宝田とあやめ園の往復五キロを歩く「川はともだちつれづれウォーク」が行われ、また、二日目の二十三日には、全国各地で童謡や唱歌を歌いつづけているという「童謡と唱歌の会」のみなさんの発表会や、メンバーの一人が地元明科町の出身という YAMA-SHOWS のコンサートなども行われた。また、メイン会場となった龍門渕公園内の多目的ステージ周辺では、明科町の特産品を販売する屋台が並び、名物となった「にじますの円揚げ」や田舎味が懐かしい「灰焼きおやき」などが人気を集めていた。

 明科町特産「にじますの円揚げ」
 明科町の特産といえば「にじます」。犀川河畔に湧く地下水を使った養殖池を設け、「にじます」の研究がこの明科町で行われるようになったのは、昭和初期に長野県の水産指導所が設けられてから。当時は、河川への放流を目的とした養殖を主体にしたものだったが、効果が得られなかったため、その後、現在のような養殖池で「にじます」を育てる研究に転換している。
 明科町は、「にじます」の養殖に欠かせない清らかな水(湧水)を得やすいという立地条件を備え、指導所長として赴任された谷崎正生氏の指導や事業として確立させたい業者の熱意もあって、その後、水産試験場を中心に養鱒池が設けられ、現在では、明科町(含む南安曇郡穂高町・豊科町)の生産高(養殖)は、全国生産高の二割強のシェアを占めるまでに至っている。
 「にじます」の特徴は、脂質やカロリーが少ない半面、たんぱく質やビタミン、鉄分などの栄養分を多分に含むこと。昨今の健康食ブーム野影響によるものか、「にじます」への需要は年々増えており、それに伴って各地でさまざまなメニューが考案されている。
 明科町でも、数年前から特産の「にじます」を使ったメニューが検討されており、なかでも注目されているのが「にじますの円(つぶら)揚げ」だという。これは、「にじます」を背開き(腹を開き、背中を中心に左右に広げた状態)にして、油でさらりと揚げたもの。このような状態だと、頭と尾が反り返り、円形になることから「円揚げ」という名が付けられた。油で揚げてあるため、骨も柔らかく、すべての部分が食べられる、「にじます」メニューのなかでも大ヒットの作品でもある。
 この日も、イベント会場に「円揚げ」専門の屋台が設けられ、県外から訪れた観光客がまとめ買いするほどの人気ぶりだった。町内のアヤメシティーなどでも購入可能。三匹で五百円。詳細は (株)辰巳 ( 0263-62-4628 )まで。

 名物「灰焼きおやき」
灰焼きおやき
 イベント会場で「円揚げ」とともに人気だったのが、田舎味が懐かしい「灰焼きおやき」だった。「おやき」といえば、信州を代表する郷土色。明科町の「おやき」は、灰のなかで蒸して作るもので、囲炉裏が家のなかにあった時代の名残りを伝えるものでもある。
 ところが、最近では、この灰を利用する方法が、衛生面において問題があるのでは…という意見もあり、本来なら「灰焼き」を利用して「おやき」を作っていた地域でも、釜で蒸して見た目をきれいに作ったものへと変わりつつあるともいう。
 明科町では、伝統のある「灰焼き」文化を残すべく、食用にも使える特殊な灰を考案し、これを使って「おやき」を作っている。写真(左)からもわかるように、普通の灰よりも白く、「おやき」に付着する灰の量が少ないのが特徴とか。
 イベント当日は、明科町職員組合のみなさんによりこの「おやき」の販売が行われ、屋台前では行列ができるほどの盛況ぶりで、途中から一人二つまで(ひとつ百円)という制限されるほどだった。

 多目的ステージ
 龍門渕公園に設けられた多目的ステージでは、全国各地で童謡や唱歌を歌いつづけているという「童謡と唱歌の会」のみなさんの発表会のほか、信州大学ダンス部の現役学生さんや卒業生のみなさんによる「フラメンコ」の舞台、メンバーのひとりが地元明科町の出身だという YAMA-SHOWS のライブなどが行われた。

この記事は、平成 14年 6月 23日現在のものです。 
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信越放送制作「ラジオの王様」生放送(穂高神社)

 穂高神社の御遷宮祭 ( 2003. 5. 25 )
 穂高神社では、境内にある三つの本殿を二十年に一度造り替える「大遷宮祭」とその間に二回の修理する「小遷宮祭」が挙行される。今回行われたのは、そのなかの「小遷宮祭」。七年に一度行われるこの祭事は、「仮殿遷座祭」(本殿から御神体を仮殿にお遷座)、「清祓」(本殿の祓い清め)、「本殿遷宮祭」(寅の日、寅の刻・午前四時頃に行われるもので、御神体を仮殿から本殿に戻られる)、「奉幣祭」の順で儀式は進められる。

<管理人ひとこと>
 会場では、穂高に伝わる郷土人形装飾の「穂高人形」が展示されていました。「穂高人形」は、境内の立木をそのまま利用して背景を作り、そこへ人形を配置して物語の一節を演出するというもの。大規模かつ写実的に飾る人形飾物としては日本一という評価を受けている貴重な伝統文化でもあります。今回は、次の場面が境内に展示されました。

 ・ 頼朝・義経、清盛に追放される場面
 … 平治の乱(平治元年十二月九日)で、源義朝は平清盛に敗れて敗走。義朝の妻・常盤御前は、子供たちが殺害か追放されるかが危ぶまれたので、永暦元年一月十七日朝、京都から伏見に至る伏見街道を今若(七歳)、乙若(五歳)の手を引き、一歳の牛若を抱いて、奥州に逃れんと雪道を行く場面を演出。
 ・ 静御前・鶴岡八幡宮にて舞を舞う場面
 … 頼朝の妻・政子が、義経の妻である静御前の舞が見たいと鶴岡八幡宮の社前に舞台を造らせ、舞を舞わせた場面。静御前は、頼朝と義経の仲が元に戻るようにと祈りながら「しずやしず しずのおだまきくりかえし むかしを いまに なす よしもがな」と歌いながら舞ったと伝えられる。
 ・ 木曽義仲倶利伽羅峠の戦いの場面
 … 寿永二年五月、木曽義仲の軍勢五千騎余と、平家の軍勢四万騎が砺波山で戦った場面。ここで、義仲は夜に入って敵の表と裏からときの声を上げるとともに、頭にたいまつをつけた牛を放ち、平家の軍勢を破った(倶利伽羅峠の戦い)。
 ・ 壇の浦義経八艘飛びの場面
 … 壇の浦の戦いにおいて、平家の武将能登守教守(のりつね)は、義経に迫ろうを奮闘するが、身の軽い義経は、船から船へと飛び移り、逃してしまうという場面。境内の池を巧みに利用した作品。
 ・ 安宅の関所の場面
 … 義経が都を追われ山伏姿で奥州に下る際に、安宅(あたか・石川県小松市)の関守に見咎められるが、武蔵坊弁慶の機知で脱出する場面。
 ・ 天の岩戸開きの場面
 … 神代の昔、素戔鳴命(すさのおのみこと)が乱暴をはたらいていたため、高天原(たかまがはら)を治める天照大神(あまてらすおおみかみ)は、腹を立てて天の岩戸に入ってしまった。このために、天地は真っ暗になってしまい、悪い神たちが暴れ始めたため、高天原の神々は、天照大神を岩戸から出てくるため相談をする。神々は、まず、長鳴鳥を集め、天鈿女神(あめのうずめのみこと)という女神が面白おかしく舞を舞い、神々は手を打ち笑い騒ぎ始めた。
 岩戸の中では、天照大神が外の様子が賑やかなので少し戸を開けると、その時を待っていた手力負命(たぢからおのみこと)がすかさず岩戸を開き放ち、大神を外へ連れ出した。大神が現れると、世の中は瞬く間に明るくなり、悪い神は退散。素戔鳴命(すさのおのみこと)は捕らえられ、地上の国に追い払われることとなる。場面は、天照大神が岩戸を出てくる様子を描いたもの。

 今回奉納された「穂高人形飾物」の場面紹介については、
社務所で配布されていた案内と、会場の案内板を参考にしました。
この記事は、平成 14年 5月 25日に取材・撮影したものです。


「物産まつり」会場と豊科高校吹奏楽クラブの皆さんによる演奏

 開設五周年記念 「道の駅ほりがねの里・物産まつり」 ( 2001. 5. 26 )
 開設五周年を迎えた堀金村烏川の「道の駅ほりがねの里」で二十六日、「開設五周年記念・物産まつり」が開催された。午前八時半のオープン時には、買い物客に「切花」が、子供たちには「風船」や「わた菓子」がプレゼントされたほか、午前九時から「ちぎり餅」の無料配布、午前十時からは「菜の花畑」において「宝探しゲーム」、午後一時半には同じく「菜の花畑」で「菜の花摘みゲーム」、午後二時半からは「太巻き寿し」の無料配布などが行われた。また、会場に設けられた特設ステージでは、地元の堀金小中学校の児童や県立豊科高校吹奏楽クラブによる吹奏楽の演奏も行われイベントを盛り上げた。

<管理人ひとこと>
 安曇野にある特産品即売所のなかでも、積極的な営業展開を図っているのが、ここ堀金村の「道の駅ほりがねの里」。常にイベントを企画し、顧客の気持ちを引きとどめておく営業姿勢は大手スーパーも顔負けかも。

この記事は、平成 13年 5月 26日に取材・撮影しました。 
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穂高神社の奉射祭

 穂高神社の奉射祭 ( 2001. 3. 17 )
 平安時代から続くという歴史のある祭りで、一年十二ヶ月を表す十二本の矢を、神官が本殿から神楽殿に設けられた的を射て、その年の吉凶を占うという神事。毎年三月十七日に行われており、今年も午後三時から関係者が列席するなか厳かに執り行われた。
 約四十分ほどの神事が終わると、進行役から奉斜祭(おびしゃさい)の開催が告げられる。始めに本殿から神楽殿に対して左右四十五度の方向へ矢を放ち邪気を払う。続いて正面の神楽殿に設けられた的に、神官が交代で矢を射るという段取りとなっている。射られた矢はご利益があるといわれ、参拝に訪れた人々はこれを手に入れようと奪い合いとなるのがこの祭りの「見どころ」となっている。ただし、的を外れた矢は、やはり人気がないようで、それほどの取りあいにもならなかった。縁起を担ぐことを考えれば、それも当然のことといえよう。神官の責任も重大だ。
 今年は土曜日であったにもかかわらず、あいにくの雨模様となってしまい、見学人も例年より幾らか少なめであったようだ。外された的は、瞬く間に参拝者らによって分解され、ご利益があるといわれるその破片を大事に抱え帰っていった。

この記事は、平成 13年 3月 17日に取材・撮影しました。
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特急「しなの」が停車するJR明科駅での記念セレモニー

 JR明科駅に特急停車 ( 2001. 3. 3 )
 平成十三年三月のダイヤ改正に伴い、JR篠ノ井線明科駅に特急「しなの」が上下一本ずつ停車することとなった。停車する「しなの」号は、上りが九時四十分発の「しなの六号」、下りは十六時十二分発の「しなの二十一号」。明科町では五年ほど前から特急「しなの」号の停車駅に向け準備を進め、今回JR東日本とJR東海の協力を得て実現することとなった。
 ダイヤ改正当日の三日、初めて停車することとなる「しなの六号」の到着時間に合わせ記念セレモニーが明科駅で行われ、一日駅長を任された尾崎町長の挨拶の後、地元選出の県会議員やJR東日本長野支社長らがお祝いの言葉を語った。列車は予定より一分ほど遅れて明科駅に到着。短い停車時間のなかテープカットが行われ、地元の小学生らがくす玉を割ってこれを祝った。
 今回の特急停車により、町では中京・関西方面から安曇野を訪れる観光客を期待している。

この記事は、平成 13年 3月 3日に取材・撮影しました。
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穂高神社の節分祭

 穂高神社の節分祭 ( 2001. 2. 3 )
番号札の引換所
 穂高神社では、節分の日の午後四時から境内の神楽殿を中心に、恒例の節分祭がおこなわれた。前日までに申し込みのあった年男・年女の人たちが神職とおなじ衣装を着て豆まきをしたこともあり、堅苦しさが残る神事とは違い、どことなくなごやかな雰囲気の漂うなかでの豆まきとなった。
 豆まきに集まった人たちの楽しみは、合間に突然(気の向くまま)まかれる筒状の札を集めること。子供たちに混じって大人たちも福を取りこもうと真剣に拾い集めていた。札には番号が記されており、社務所に設けられた番号札の引換所に持ち込むと、地元商工会から提供された商品と引き換えができる仕組みになっている。

この記事は、平成 13年 2月 3日に取材・撮影しました。
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一乗寺に設けられた豆まき会場

 豊科町一乗寺の「安曇野節分祭」 ( 2001. 2. 3 )
 役場前の一乗寺で、恒例の「安曇野節分祭」が開催された。周囲には、つい一週間ほど前に降った雪が堆く積み上げられ、足場の悪い境内だったにもかかわらず、「福」を得ようと訪れた家族連れの参拝者で賑わった。
 豆まきは午後三時から。特別ゲストとして招かれた落語家の金原亭馬の助さん、桂笑生さんらを先頭に、地元選出の国会議員や県会議員、商工会関係者らが特設会場に登場し、住職のご祈祷の後、「福は内!」という合図とともに一斉に福豆や商品引換券が投げられた。商品引換券は「福券」と印刷された紙片となっており、商品引換所で地元商工会から提供されたりんごやおやき、家庭用品などと交換できるようになっている。

この記事は、平成 13年 2月 3日に取材・撮影しました。
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勇壮な「俵回し」福俵を載せて…

 豊科町の福俵引き ( 2001. 1. 14 )
 豊科町新田と成相(なりあい)地区では、小正月の伝統行事である「福俵引き」が行われた。この神事は、祭り当日の朝、それぞれの地区にある神社(新田は新田神社、成相は成相八坂神社)に立てた御柱を倒し、予め結び付けておいた福俵を外して、地区の若者たちが引き綱を引きながら歩行者天国になった駅前通りまで運ぶというもの。
 駅前到着に福俵が到着したのは、概ね午前十時ごろ。会場に到着した双方の福俵は、神事の後、大勢の観客が見守るなか、引き綱を握って俵を時計廻りに廻す「俵回し」が行われる。俵は籾俵をかたどったもので、約六十キロの重さがあるという。
 「俵回し」が終わると、続いて見せ場となる「人間ピラミッド」の準備が始まった。これは、二人を仰向けに寝かせた後に福俵を載せ、さらにその上で三段ほどの人間ピラミッドをつくるというものだ。福俵の下に寝かされる人も大変だが、俵の上でバランスを取りながら、双方同時にピラミッドを作るのも至難の技。手を大きく広げポーズを取ると、周囲の観客から盛んに拍手が送られた。
 この「福俵引き」、もともとは道祖神に五穀豊穣を祈る祭りだったが、現在は「あめ市」行事に組み込まれ、その年に新装した商店の前まで運んだ福俵を「どずん、どずん」と打ち付けて商売繁盛を祈願することも行われる。

この記事は、平成 13年 1月 14日に取材・撮影しました。
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順番待ちの車祈願の受け付け

 穂高神社への初詣 ( 2001. 1. 4 )
 正月は初詣で約八万人の参拝者で賑わったという穂高神社。管理人の会社では、仕事始めとなる四日の午前中、その穂高神社へ参拝することが毎年の恒例行事となっている。
 最初の頃は、何も穂高まで出かけなくとも松本市内にだって初詣にでかける神社・仏閣はあるのに…、と思ったものだったが、地元出身の職員の、何を差し置いても穂高神社への初詣、という勢いに引きずられ毎年繰り返すたびに、何時しかそれが当たり前となっているから不思議だ。
 当日は、年始の挨拶回りなどがあったため、会社を出発したのは午前十一時頃。国道 147号線を一路穂高神社へと向かう。所要時間はおよそ二十分だ。正月四日くらいだと、この辺りの会社は、まだ休み中のところが多い。そのためかいつもなら渋滞する国道も、今日は猫も横切れるほど空いている。
 ところで、今回の参拝は、普段なら賽銭をあげて帰ってきてしまうところを、特別にお払いも受けよう皆で決めていた。新世紀の始まりということもあったが、そのほかの理由として、今年(平成十三年)が「八方塞がり」の年回りにあたる職員がなんと四人もいたことがある。「八方塞がり」=「人生のなかでも波瀾な年を迎える…」などと聞けば、普段あまり信仰心のない者だって、神様のご加護を仰ぎたくなるもの。僅か十数人しかいない会社に四名もいたことですら、驚きなのに…。そのせいか、車内は何故か重苦しい雰囲気に包まれていた…(?)。

 穂高神社に到着した時には、すでに六台ほどの車が順番待ちをしていた。松本市内では気が付かなかったが、さすがに穂高町まで来ると風が冷たい。僅かだが雪も舞っている。他の車の人たちは、寒いのか、誰も車から出る気配もなく、ひたすら順番を待っているようだった。
 穂高神社を参拝するにあたり、注意しておきたいことがひとつ。通常の参拝の場合は、御船会館横にある大鳥居が入口になっている駐車場を使うが、車とともにお払いを受ける時には、旧道から穂高町役場前を通り、直接境内へ乗り入れる。大鳥居からは車が進入できないので注意しよう。境内に入る手前で、係員の方が受けつけの方法を教えてくれる。祈祷料は目的にもよるが、通常で五千円。カードに住所と名前を記して、社務所へ祈祷料を支払う。待ち時間はこの時期だと、空いていれば十分くらい、込んでいる時は三十分くらいかかるそうだ。
 十数分ほどして、係員さんの指示で車を境内に入れる。本殿前に引かれた白線まで進みそこで停車。諏訪神社あたりだと、車を開けてご祈願するそうだが、穂高神社ではその必要はない。祈願を希望する人だけ、靴を脱いで右側の入口から本殿に入る。参拝者の席は、入口を入ってすぐ左側の位置。床には電気敷布が敷かれており、ぬくぬくして暖かい。
 「あけましておめでとうございます」という神主さんのお言葉の後、厳かにご祈願が始まった。途中の文句はよくわからなかったが、参加されている方々の住所、名前がつぎつぎと読み上げられていく。穂高町、三郷村、堀金村、池田町、松本市、塩尻市…、と参拝者の住所はさまざまだ。一通りの儀式が終わると、玉串を受け取り神前に捧げる。二礼ニ拝一礼の作法を忘れずに。出口では「破魔矢」と御供が配布される。ご祈願はこれでひとまず終了。所要時間はおよそ十五分くらい。機会があればお願いしてみよう。冬は寒いので、席は真ん中あたりにいたほうが無難かも(前と後ろは風が当たるので、ちょっと寒い)しれない。

<管理人ひとこと>
 穂高神社での参拝の後、江戸時代の農家をそのままお店にしたというそば処の「常念」に出かけました。「常念」の蕎麦は、地元産のそば粉を使った風味豊かな味わいに定評があり、地元では知られた存在。ざるそばは五百円、山菜そば(「かけ」「つけ」の二種類から選ぶ)は八百円で、当日は「トン汁」がサービスされました。おいしかった…。

 そば処常念 南安曇郡穂高町上野 7690
 TEL 0263-82-5069
  南安曇郡穂高町大字穂高付近 ( 1 / 75000 )
 [ 営業時間 ] 11: 00 〜 14: 30、15: 30 〜 19: 00
 [ 定休日 ] 毎週火曜日

この記事は、平成 13年 1月 4日に取材・撮影しました。 
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