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季節の話題
TOPICS MATSUMOTO
2001

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季節の話題 TOPICS MATSUMOTO 2001

 このページは、管理人ひろさくが各地を訪ね拾い集めた「季節の話題」のなかから、徒然なるままに書き記したものです。特定の分野に限定せず、管理人の思いつくまま、気の向くまま、町や村の話題を取り上げていますので、関心を持たれた場所だけご覧ください。更新は不定期ですのであしからず。

 TOPICS MATSUMOTO 2001
  いよいよ踊り納め! 第二十七回 松本ぼんぼん ( 2001. 8. 4 )
  酷暑が続く松本市内 島内の「五本松」もピンチ! ( 2001. 7. 28 )
  American Short Shorts Film Festival 2001 ( 2004. 7. 28 )
  都市開発が進む千歳橋周辺 ( 2001. 7. 28 )
  装いも新たに新世紀を迎えた 縄手通り ( 2001. 7. 28 )
  管理人ひろさくの仮住まいで…! ( 2001. 6. 29 )
  松本空港に、あの名機 YS- 11 が再登場! ( 2001. 6. 2 )
  松本平に春の嵐… ( 2001. 3. 27 )
  雪の信州スカイパーク ( 2001. 1. 21 )
  降りだした雪 ( 2001. 1. 20 )
  幻想的な世界を演出 なんなん広場のイルミネーション ( 2001. 1. 25 )


盛りあがった 松本ぼんぼん

 いよいよ踊り納め! 第二十七回 松本ぼんぼん ( 2001. 8. 4 )
 真夏の最大イベント「松本ぼんぼん」が、八月第一土曜日の四日、出場連数 243連、総勢 22500人の参加を得て盛大に行われた。
 管理人ひろさくが勤務する職場では、市内に勤務する内勤・外勤合わせ総勢七十五名が、青い法被を纏い、手には、赤・黄・青色の「はたき」を持って出場。ルートは、本町交差点近くの集合場所から松本駅方面に進み、再び本町通りに戻って、中町から女鳥羽川沿いに千歳橋へ進むもので、近年には珍しく観客の多いルートが割り当てられていた。

本町通りは歩行者天国に、準備万端!

 「松本ぼんぼん」の開始は、夕闇迫る午後六時から。「ぼんぼん、松本ぼんぼんぼん」といつまでも余韻が残る印象的なメロディーが流れるなかを、午後九時半までの三時間半、途中に休憩を挟みながら踊りは続いた。
 恒例となった「ぼんぼん踊りコンテスト」の発表は、午後九時から。今年は、最優秀賞に「JR東日本松本地区連」の皆さんが、また、優秀賞には「丸の内病院連」と「コーラスライン連」の皆さんによる踊りが選ばれ、その後、最優秀賞を受賞された「JR東日本松本地区連」の皆さんによる模範踊りがメインステージで披露された。

<管理人ひとこと>
 この「ぼんぼん」を最後に、管理人ひろさくは転勤のため、松本を離れることとなりました。次の勤務先である長野市では、「松本ぼんぼん」と同じ日に「長野びんずる」が開催され参加していますが、どうしても「ぼんぼん」と比べてしまいます。何時かまた、松本に転勤になったなら、この「ぼんぼん」、踊ってみたいなぁと思っています。

この記事は、平成 13年 8月 4日に取材・撮影したものです。 
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枯れ始めた「小宮の五本松」

 酷暑が続く松本市内 島内の「五本松」もピンチ!
 「小宮の五本松」は、島内小宮( 地図 )の田園地帯に立つ樹齢三百五十年(推定)の松で、昭和四十二年には市の天然記念物に指定された島内地区の名物だ。根は一本だが、地表からおよそ一メートルくらいのところで枝が五本に分かれ、見事な枝ぶりを披露していたから、地籍の名称とともにこの名前が付けられたといわれている。すぐ脇には、車二台が停められるスペースがあり、夏ともなると、この松の下に車を停めて涼んでいる営業マンの姿がお馴染みの光景になっていた。
 ところが、今年の夏、この松に大事件が発生する。それは、例年にない酷暑と少雨のために、長年の風雪に耐えてきたこの木の勢いが衰えはじめたのである。さらに追い討ちをかけるように、近くの畑でまかれた除草剤が根を通って全体に広がり、七月になると枯れ始めてきたのだった。
 近くに住む人の話では、ボランティアで土の入れ替えを行い、専門の樹医さんに治療を施してもらったそうだが、七月末現在、期待していた効果はなかなか見られず、今も全体的に赤っぽくなった惨めな姿を晒している。この松が、これから先どのようになるのか少々心配だ。

この記事は、平成 13年 7月 28日に取材・撮影したものです。 
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冬でも元気だった五本松
(平成 12年 12月 23日)
殺風景になってしまった五本松
(平成 15年 1月 31日)

  ついに伐採へ
 五本松のその後について心配していたところ、地元にお住まいの 丸山さん から写真をお送り頂きました。枯れた松は、ボランティアのみなさんのご尽力ににより元の姿に戻るかに見えましたが、残念ながら回復が見込められず、昨年、五本に枝分かれする部分の上部一メートルほどを残して伐採されたそうです。
 写真は、伐採された後に覆いが施された現在の五本松の様子。地元・島内でもシンボル的な存在だっただけに惜しむ声も多いとのことです。

 <資料> (小宮誌・小宮史談会・平成十年発行)
 ・ 「島内小宮の五本松」 昭和 42年松本市天然記念物に指定
 ・ 幹囲 3. 60m
 ・ 五本の枝の高さ・ 76m ・ 46m ・ 62m ・ 58m ・ 58m

この記事は、平成 15年 1月 31日に取材・撮影したものです。 
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American Short Shorts Film Festival 2001 (Mウィング)

 American Short Shorts Film Festival 2001
 話題の「アメリカン・ショート・ショート フィルムフェスティバル」( ASS )が、二十六日の実行委員長で俳優の別所哲也さんらを招いたトークライブを皮切りに三日間の日程で開催された。それまで、「アメリカン・ショート・ショート フィルムフェスティバル」については、内容はもちろんのこと、名称すら聞いた事がなかったのだが、案内によれば、新進監督らが製作した十分から二十分程度の短い映画を一時間程度に編集し、これを1プログラムとして上映するものだという。これまでは東京や大阪など大都市で行われていた ASS であったが、地元実行委員会のメンバーらの努力により、今回、地方都市としては初めて松本市で開催されることとなった。
 二十六日は、午後五時半から松本パルコの設けられた会場で、 ASS 実行委員会委員長の別所哲也さんや、事務局長らを招いたトークライブが行われ、翌二十七日と二十八日には、Mウィング内のホールでそれぞれのプログラムが上映された。今回は、松田聖子の娘 SAYAKA が出演した「 Bean Cake(おはぎ) 」も急遽上演されることとなり、その話題性もあって大勢の映画ファンが会場を訪れていた。
 また、Mウィングの一階では、入場券の半券を使った抽選会や夏の風物詩である「青山様」や「ぼんぼん」の展示、「押ひな」などの製作実演などが行われた。

この記事は、平成 13年 7月 28日に取材・撮影したものです。 
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千歳橋周辺の女鳥羽川近くで進む都市開発事業

 都市開発が進む千歳橋周辺
 ひさしぶりに松本市内を歩いてみると、あまりの変貌ぶりにたいへん驚かされる。Mウィングが華々しくオープンしてからも工事は続けられ、「あの伊勢町が…」と市内に住む人々ですら驚かされるペースで近代化が進められているのだ。伊勢町のパルコ近くには、大きなホテルが建ち、一階には有名外食産業(ファミレス)がテナントとして入居することになっているという。また、伊勢町通りに続く本町通りでも、景観上指摘の多かった電柱の類が取り除かれ、すっきりとした通りへと生まれ変わった。昨年アーケードが取り除かれた「六九」(ロック)周辺でも、高層マンションの建設が急ピッチで行われている。
 前記した「アメリカン・ショート・ショート フィルムフェスティバル」の帰り、千歳橋 ( 地図 )を通ると、市内でも老舗で知られる「増田屋家具デパート」横に建っていたビル(地元では、松本市内で一番古いビルだったことから、「マツイチビル」と呼んでいたらしい…)の取り壊し作業が行われており、たまたま橋を通りがかった人々の多くが足を止めてその様子を見守っていた。
 水を掛けられ、繰り返される重機の勢いに、少しずつ壊れていくビル…。もともと松本に住んでいたわけでもなく、このビルに何の縁もあるわけではないのだが、壊されていく様子は、どことなく淋しさを感じるものだ。歩道からこの様子を眺めていた通行人のなかにも、感慨深く見ていた人もいたことだろう。
 建築基準法などによれば、高度経済成長期に建てられた建物の多くは、現在の耐震構造を満たしていないという、したがって、今後想定される大地震などが起きた場合には崩壊の恐れがあり、取り壊すか、改めて建てなおす必要がある、と聞いたことがある。したがって、都市開発事業を理由に古い建物が取り壊されるのは、当然の成り行きであり、けっして間違ったことではない。ただ、ある程度の年齢の人々の多くが、例えば「最近は、伊勢町みたいじゃなくなっちゃったね」「城下町らしさに欠ける…」という声がしきりに出ていることも事実だ。
 近代的な建物もやむを得ないが、松本の歴史を考えれば、やはり城下町の風情が残る町並みが必要であり、東京が引っ越してきたような建物は要らないように思うのだがどうだろうか。

この記事は、平成 13年 7月 28日に取材・撮影したものです。 
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装いも新に新世紀を迎えた「縄手通り」

 装いも新に新世紀を迎えた「縄手通り」
 松本市の近代化(再開発事業)に文句ばかり記している管理人だが、この「縄手通り」についてはだけは例外で花マルを評価している。
 「縄手通り」の歴史については 総合案内 のなかでも記しているので、ここでは説明を省かせて頂くが、郊外店の進出により中心部の地盤沈下が叫ばれるなか、商都・松本らしさを残す唯一のものとして、またその存続のためにこのように新装せざるを得なかった事情を考えれば、協力した商店主たちの決断はとても立派なものだったと思う。
 確かに、地元の人たちが生活用品を購入するためここに訪れるという機会が薄れたかもしれないが、小さなお店が幾つも連なり、そのどれもに松本らしさが漂っているのは、観光客からすれば魅力なスポットだ。最近では、雑誌などでも取り上げられる個性的な店も増え、「松本といえばナワテ」というイメージも定着しつつある。機会があれば、ぜひお店めぐりをオススメしたい。

この記事に使用している写真は、平成 13年 7月 28日に撮影したものです。 
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配水管の内部と業者による作業の様子

 管理人ひろさくの仮住まいで…!
 管理人の仮住まいで、思いもかけない「床下浸水」という異常事態が発生したのは、五月も終わり近い日の午後八時のことだった。一階にあるトイレから、猛烈な勢いで下水道の水が流れ込み、一気に床は便器を逆流してきた汚物やら何やらで水びだしへと発展!
 急遽駆け付けた専門の業者によると、棟続きになっている世帯寮で使った風呂の水が、配水管を伝って流れたものの、何らかの理由で管が破損してしまい、そこに砂や石が落ちて塞いでしまったため逆流したということであった。
 管理人の仮住まいは、築後十七年ということで新しい物件ではないが、それでも、普通に使っていればこの程度で配水管が割れる、なんてことはないはずらしいのだが…、と他の住民は語る。最終的には管工事を請け負う業者に配水管の取り替え作業をお願いすることとなったが、工事終了まではトイレの使用を全面禁止となるため、「小」はよいが、不測に催す「大」はどうすればいいのだろうか、仮住まい住民は不安を募らせている。
 仮住まいの住民全員によるバケツリレーがあったり、十七気圧の高圧洗浄機が登場するなど、いままで経験したことがない今回の事態があまりにも珍しかったので、不謹慎とは思いつつも作業風景を数枚撮影してみた。左は配水管の内部(出口)、右上は専門の業者さんによる作業の様子、右下は配水管から出てきた砂利。

この記事は、平成 13年 5月 29日に取材・撮影したものです。 
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大阪・伊丹空港から到着した YS - 11

 松本空港に、あの名機 YS - 11 が再登場!
 四月からのダイヤ改正に伴い、いままで一日一往復だった松本〜大阪便に、日本エアーコミューターが運行する午後発着の一便が追加され、空港ジェット化に伴い廃止された YS - 11 が再び松本平の空に戻ることとなった。また、これにより松本〜松山間に運行されていた便は、六月末で廃止となる。
 ところで松本空港の利用は、地元市町村をはじめ、関係機関でさまざまなイベントや企画で利用促進を図っているが、地方都市を結ぶ路線が華々しく誕生するものの、一年、または二年後には廃止となる状況となっており、宣伝のわりにあまり芳しくない状況が続いているのが現状だ。県民の空港として利用増に奮闘されている方々には申し訳ないが、天候に左右され、かつ時間帯を選ぶことのできない松本空港から出発には、ほとんどの旅行者が消極的なのは事実。実際にも、長野から新幹線を利用して羽田空港に出かけたり、飯田方面なら名古屋空港に出て出発したほうが確実であり、旅行会社のツアーや個人旅行のほとんどがこれらを前提に企画されている。
 航空会社の台所事情も幹線区間での激しい価格競争によりかなり苦しいと聞く。利用者を増やして、少しでも負担を減らしたいところだろうが、空港施設が充実し、確実に運行されることが保証されなければ、松本空港発着の路線収支は今後も改善されることはないだろう。また、ジェット化を決定するにあたり、空港周辺に住む住民らと、航空機の機種や離発着方向の分散化、運行時間の制限( 9: 00 〜 17: 00 )等の取り決めも具体的な進展がないまま平行線を保っている。
 現在使用しているジェット機( MD )にも寿命がある。YS の登場は嬉しいが、今回の運行再開は、今後の松本空港への対応を模索している気配も感じられる。
 
 県営松本空港は、長野県が管理する第三種地方空港。標高 675. 5m 、面積 58ha 、滑走路 長さ 2000m 幅 45m で、小型ジェット機が三機、小型機が十機まで駐機するスペースがある。新潟・名古屋ルートや東京・富山ルート上に位置することから、空港には飛行機に位置を知らせる「 VOR (超短波全方向式無線標識施設)」や「 DME (距離測定装置)」などの施設も設置されている。
 しかし、松本空港は、全国的にも高い山々に囲まれた山岳空港という独特な特徴があり、離発着に欠かせない「自動離着陸装置」が乱反射して設置することができないそうだ。このようなことから、現在のところ空港を離発着する航空機のほとんどは、パイロットによる「有視界飛行」により行われており、気象条件により運行条件が大幅に制約される状況になっている。

この記事に使用している写真は、平成 13年 6月 2日に撮影したものです。

四月から就航した大阪便最終フライトとなった松山便

 平成十三年六月三十日をもって、約三年間運航してきた「松本〜松山」線が廃止となった。当日の松本空港は、風雨が強くあいにくの天候となったが、欠航することもなく淡々と飛び立っていった。再び SAAB300B (写真 = 右)が松本空港に飛来することがあるか、現在のところは未確定だが、もし機会があれば、定評のあったこの飛行機からの景色を楽しんでみたいと思っている。

この記事に使用している写真は、平成 13年 6月 30日に撮影したものです。 
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猛烈な土埃と発生源の「岩垂原」・「長いも畑」

 松本平に春の嵐…。 
 中国の黄土高原から舞いあがった砂が、西風に運ばれ日本に辿りつく現象を「黄砂」というが、これと時期を同じくして発生するのが、松本市内と境を接する塩尻市岩垂(いわだれ)に広がる「岩垂原」( 地図 )の土埃だ。風速 30m もの強い西風が乾燥した土を巻き上げ、中山・寿方面から東山沿いに松本市内へ、またある時は山形村・波田町を抜け、梓川村・三郷村方面に土を運ぶ。これによる交通機関への影響は、高速道路(長野自動車道)が視界不良のため速度規制が松本〜塩尻間などで行われ、生活面では軒先の洗濯物などに土が付着して変色するなどの被害を招いている。
 発生源は、塩尻市北部の岩垂地区、または東筑摩郡山形村周辺。岩垂原は松本平でも有数の野菜の産地であり、山形村は有名な「長いも」の産地だ。写真右上は「岩垂原」、写真右下は「長いも」の収穫(平成 12年 12月撮影)が行われている山形村の長いも畑の様子。遮蔽物の無い畑では、強い風を受ければ土が舞いあがるのはやむをえないこと。松本市内に住む人々は、これも季節の話題だ、と毎年のできごとに諦めているようだ。お出かけの際には、マスクを持っていったほうがよいかも…。

この記事は、平成 13年 3月 27日に取材したものです。 
山形村から上がる土埃の写真は、平成 12年 3月 9日に撮影しました。 
岩垂原・山形村の長いも畑の写真は、平成 12年 12月 2日に撮影しました。 
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親子連れで賑わう 信州スカイパーク

 雪の信州スカイパーク 
 信州スカイパーク(松本平広域公園)は、県営松本空港のジェット化に伴い誕生した公園( 地図 )で、延長された滑走路や空港ターミナル周辺には、信州博で使われた「やまびこドーム」や陸上競技場、サッカースタジアム「アルウィン」などの施設が整備されている。そのスカイパークの「やまびこドーム」がある辺りには、空港を離発着する飛行機が間近で見られる丘があり、この時期はその斜面を利用して「そり」滑りを楽しむ家族連れで賑わう。近くには自動販売機やトイレもあるので、子供たちにも安心だ。駐車場・公園利用ともに無料。写真は、左が「スカイパーク」で左から中央に伸びるフェンスの向こうは滑走路、右上は「スカイパーク」にあった雪だるま、右下は丘の頂上から見える「空港ターミナル」。

この記事は、平成 13年 1月 21日に取材・撮影したものです。 
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ジャスコ南松本店なんなん広場

 降りだした雪 ( 2001. 1. 20 )
 二十日夕方から降りだした雪は、瞬く間に風景を白一色に変えてしまうほどになった。写真は、管理人が住んでいた仮住まいから歩いて五分ほどの位置にあるジャスコ南松本店。いつもなら長野の自宅に戻る管理人だったが、翌日以降も雪降りとなることを聞いていたため、この週は松本に留まることとした。ただ、仮住まいにいてもヒマということもあって、ジャスコ店内の本屋や旅行カウンターを訪ね、帰ろうと店内から出てきたらご覧のような風景になっていたというワケだ。
 結局この日の降りは、次の記事(信州スカイパーク)に続く雪景色となったわけだが、この後も松本では雪が降り続き、二十七日には積雪六十九センチという大雪に見舞われることとなる。

 幻想的な世界を演出 なんなん広場のイルミネーション ( 2001. 1. 25 )
 雪景色で思い出すのが、市内芳野にある「なんなん広場」(松本市南部図書館)のイルミネーションだ。職員が飾りつけをおこない、町に彩りを添えるこの時期の風物詩でもある。このイルミネーション、普段はそれほど感じなかったのだが、この年のように雪が多いとご覧のような幻想的な場面を演出してくれる。デートスポットとしてはあまりにも寒すぎるかもしれないが、こんな場面を見せてあげるのも、もしかしたら何らかの効果があるかもしれない…(笑)。

この記事の写真は、平成 13年 1月 20日と 25日に撮影しました。 
また記事については、平成 16年 10月 30日にUPしました。 
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