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季節の話題
TOPICS MATSUMOTO
1999

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季節の話題 TOPICS MATSUMOTO 1999

 このページは、平成九年二月から平成十三年八月まで過ごした松本の話題から、なかなか特集記事が組めず眠ったままになっていた素材を集め編集したものです。この時期は、ようやくパソコンにも慣れ、知人からデジカメを安く譲って貰ったこともあって、あちらこちら撮り歩いていた頃でした。因みにこのページに掲載している写真は、全て Dimage V ( MINOLTA ) の三十五万画素デジタルカメラで撮影したものです。

 TOPICS MATSUMOTO 1999
  今年で見納め? 六九商店街の大たこ ( 1999. 12. 28 )
  正月の準備で賑わう ナワテ通り ( 1999. 12. 28 )
  気軽に行ける あさひプライムスキー場 ( 1999. 12. 26 )
  入山辺の三九郎・準備始まる ( 1999. 12. 23 )
  秋の収穫祭はお買い得 農畜産物大収穫祭 ( 1999. 11. 23 )
  ドラマのロケにも使われる 松本電鉄新村駅 ( 1999. 11. 23 )
  「豊科カントリー倶楽部」でコンペ ( 1999. 11. 6 )
  「男根」に跨って… 美ヶ原温泉道祖神まつり ( 1999. 9. 25 )
  松本市島立 島立はだか祭り ( 1999. 7. 1 )
  藤森吉弥作の道祖神と永田村化粧道祖神 ( 1999. 5. 7 )
  松本市大村 玄向寺 ( 1999. 4. 29 )
  松本市白板 犀川通船船着場の跡 ( 1999. 4. 19 )
  松本市石芝 自衛隊松本駐屯地の「ソメイヨシノ」 ( 1999. 4. 14 )


六九商店街の大たこ賑わうナワテ通り

 今年で見納め? 六九商店街の大たこ
 市内六九商店街では二十五日から、干支の龍(たつ)や武将を力強く描いた大たこがアーケードに飾られた。
 かつて年末年始には、市民で賑わった六九商店街だったが、郊外店の出店が相次いだ数年前から空洞化が進み、写真をご覧頂いてもわかるように、閉店や移転した店舗が目立つようになっている。また、来年(平成十二年)には、商業ビル等の建設が新たに始まり、名物のアーケードも撤去される予定にあるという。
 このような事情から、ここ数年、恒例行事となっていたこの大たこも今年で見納めとなる。描かれた天を昇る龍の如く、新たに生まれ変わるこの商店街に、再び勢いの戻ることを期待したい。

 正月の準備で賑わう ナワテ通り
 市内ナワテ通りでは、クリスマス後から大晦日にかけて、正月飾りを販売する屋台が並び、連日大勢の買物客で賑わう。
 かつて、このナワテ通りには、さまざまな品物を扱う露店が並び、ここに来れば何でも揃う、とさえいわれた松本市内随一の商店街だったという。昭和三十年代に起きた女鳥羽川の洪水の後、周辺の整備が行われ露店の姿をなくなったが、それでも賑わいは衰えず、大型店が郊外に進出するまで続いた。今日のナワテ通りは、市民の台所を一手に担う、といった勢いはないものの、正月飾りに関しては違うようで、ナワテ通りのものを飾りたい…、という「こだわり」がこの時期の賑わいを形成する要因になっているようである。販売のピークは、十二月の最終日曜日から官公庁の御用納め前後とのこと。

 ナワテの生い立ち
 縄手の露店の発祥は明治以降で、それ以前はお堀に面した土手だった。四柱神社の宮司が埋め立てを発案、町役場に話したところ予算がないから皆で埋め立てろということになり、方々から土砂を運んで来て埋め立てた。この場所をにぎやかにするために四柱神社の要請で興行師に一役かってもらったのが縄手の露店の始まりとなった。
 ちなみに縄手の命名の由来は、松本城築城の頃にさかのぼる。設計図を作成する際、測量用に外堀の計画線の外側に縄をはった。その縄を水縄手と呼び、後に堀を監視するための細い道路を水縄手道と呼ばれた。当時は縄手は城をとりまく四方にあったが、現在地名として残っているのはここ一ヶ所だけ。(案内板からの引用)

この記事は、平成 11年 12月 28日現在のものです。 
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入山辺の三九郎

 入山辺の三九郎・準備始まる ( 1999. 12. 23 )
 松本平の伝統行事として知られる「三九郎」が入山辺の徳運寺前の田に完成し、ライトアップの準備が行われた。
 「三九郎」とは、地域の子供たちが各家庭を廻り、松飾りや達磨(だるま)、書き初めなどを集め、河原や田に設けられた「三九郎」とともに焼く子供たちの行事。長野市など北信地方では「どんどん焼き」「どんと焼き」と呼ばれているもので、「三九郎」の火で焼いたモチを食べると風邪を引かない、といわれている。
 入山辺の徳運寺前に完成した「三九郎」は、地元の有志の方々によって作られたもので、高さはおよそ十メートル。作られた三基の「三九郎」は、夕方から深夜にかけてライトアップされる。火祭りは来月九日まで行われる予定。

<管理人ひとこと>
 松本では、この時期になると各地で「三九郎」が作られるわけですが、なかでも群を抜いて大きな作りになっているのが、紹介しました入山辺地区のこの「三九郎」。とにかく大きい。夜になるとライトアップされているという「三九郎」。さて、どんな場面を演じてくれているのでしょうか?

この記事は、平成 11年 12月 23日現在のものです。 
総合案内 / 松本平の伝統行事  


あさひプライムスキー場農畜産物大収穫祭

 気軽に行ける あさひプライムスキー場
 松本市内から気軽に行けるスキー場に、東筑摩郡朝日村の あさひプライムスキー場 ( TEL 0263-99-3700 )がある。コースは二つだけと少ないが、ゲレンデの幅が広く、傾斜も緩やかなため、初心者でも安心して滑ることができるのが特徴。ナイター営業( 16: 30 〜 21: 30 )も行われている。
 今シーズンから従来の料金制度を改め、何時間滑っても料金は同じ入場料金制を導入。県内では始めての試みとのことで、関係者の注目を集めている。

 朝日村役場 東筑摩郡朝日村 296-5
 TEL 0263-99-2001 FAX 0263-99-2745
  東筑摩郡朝日村大字古見付近 ( 1 / 75000 )
  http://www.vill.asahi.nagano.jp/ (朝日村公式ホームページ)

この記事は、平成 11年 12月 25日現在のものです。

 秋の収穫祭はお買い得 農畜産物大収穫祭
 松本市和田にあるJA松本ハイランド松本すいか共選所で二十三日、ハイランド産の農畜産物を格安で販売する収穫祭が開かれた。
 松本市、東筑摩郡波田町、同郡山形村をカバーするJA松本ハイランドは、すいか(ハイランドすいか)や山形村の長いもなどを主な特産物として取り扱っている県内屈指の単体農協。今回の収穫祭には、管内で生産された農畜産物約二百トンが用意され、旬の食材を買い求める近隣住民たちで終日賑わった。
 この時期(通常土・日曜日)、各地のJA支所、直売所では一斉に収穫祭が催され、果物や野菜がかなり安く手に入る。越冬用の蓄えや贈答用の品々を検討されている方は、新聞や折り込み広告のチェックを怠りなく…。

<管理人ひとこと>
 この時期、新聞の折込広告をみていますと、あちらこちらで収穫祭が行われているのですね。なかでも元気があって、品揃いも豊富なのがJA松本ハイランドの収穫祭。奥さまがたの間では、もう当然のように、広告を見ながら値段のチェックをしています。JA主催の収穫祭は、会場も広いので車ででかけても安心。というより、車がなければ運べないのです(笑)。ぜひ、お出かけください。

この記事は、平成 11年 11月 23日現在のものです。 
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松本電鉄新村駅と構内

 ドラマのロケにも使われる 松本電鉄新村駅 ( 1999. 11. 23 )
 松本平のほぼ真ん中、のどかな田園地帯に松本電鉄上高地線の新村駅はある。歴史を物語る木造瓦葺平屋建ての駅舎とそのホームは、松本を舞台にしたフジ系列ドラマ「白線流し」の場面にも登場することで有名だ。
 上高地線は、大正九年に設立された筑摩鉄道株式会社により建設が進められ、同年十月に松本駅〜新村駅間が開通。翌年四月に島々(南安曇郡安曇村)まで開通した。昭和三十年に「島々線」から「上高地線」へ名称変更。昭和五十八年、台風により新島々(東筑摩郡波田町)〜島々間が土砂崩れを受け、その後廃止。現在は、松本〜新島々間の運行が行われている。

<管理人ひとこと>
 話題のスポットとして人気の新村駅ですが、ここに国鉄最初の電車「テ九六八」が保存されているそうです。とはいいつつも、未だに発見しておりませんが…(笑)。この電車については、駅前に詳しい案内板が建てられていましたので、参考までに引用しておきます。もし、訪ねる機会があったら探してみてくださいね。

 日本で一番古い電車 (案内板から引用)
 国鉄最初の電車「テ九六八」が当駅の車庫に保存されている。この電車は、明治三十七年甲武鉄道株式会社飯田町工場で製造され、飯田町〜中野間を走った。明治三十九年甲武鉄道は政府に買収され、車両もそのまま国鉄に移籍されたもので、この電車が国鉄最初の電車となった。
 大正四年、電気部品を取り外して廃車とし、信濃鉄道株式会社(注:現在の大糸線で大正五年に松本〜大町間が開通)へ払い下げられた。信鉄では客車として蒸気機関車に連結され安曇野を走っていた。
 大正十一年、松本電鉄(当時は筑摩鉄道)開業時に信鉄より譲り受け、車体の一部を荷物車に改良し、三等荷物暖急車ハニフ一号となり活躍した。
 昭和二十三年、老朽により休車となり第一線を退く。

この記事は、平成 11年 11月 23日現在のものです。 
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秋景色の「豊科カントリー倶楽部」

 「豊科カントリー倶楽部」でコンペ ( 1999. 11. 6 )
 この日は勤務する会社主催のコンペがあり、早朝から松本市に隣接する南安曇郡豊科町の 「豊科カントリー倶楽部」に出かけた。スタート時は、奈良井川から沸きあがる川霧が晴れず心配したが、陽が高くなるにつれ、次第にその霧も消え、まさにゴルフ日和☆といえる爽やかな青空のなかでのコンペとなった。写真(左)は、谷越えのショートホール。

 豊科カントリー倶楽部 南安曇郡豊科町大字田沢 8186-1
 TEL 0263-33-1001 FAX 0263-33-0700
  南安曇郡豊科町大字田沢付近 ( 1 / 75000 )
  http://www.toyoshinacc.co.jp/

<管理人ひとこと>
 ところで、松本やその周辺には名立たるゴルフ場が幾つかありますが、このゴルフ場でコンペを開催したのにはつぎのような理由がありました。ひとつは、管理人が担当していた営業エリアが松本市北部から西部一帯で、近くのゴルフ場といえば、この「豊科カントリー倶楽部」がいちばん近かった(二十分くらい)こと。二つめは、参加した社長や個人事業主の多くがここのメンバーだったこと。三つめは、ナントいってもここのレストランのメニューが豊富で、美味しかったことです。
 バブル以降、何処のゴルフ場の会員権相場も急激に下落しているわけですが、このゴルフ場の会員権の価格は、下がりはしているものの、比較的、なだらかに推移しています。これは何を意味するかといえば、それは相場のチャートを見る限りですが、投資目的というより、このゴルフ場が好きなメンバーによって支えられていることに尽きるのではないでしょうか。実際、一緒にプレーした方々のほとんどが「ここのゴルフ場はいいよ」と話されていました。初めは、何故にこのゴルフ場のメンバーが多いのかわからなかったのですが、プレーをしているうちに、ようやくその謎が解けたのでした。

この記事は、平成 11年 11月 6日現在のものです。 
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美ヶ原温泉道祖神まつりなんともリアルな…。
これがウワサの「男根」「男根」の御神体に乗って…。

 美ヶ原温泉道祖神まつり ( 1999. 9. 25 )
 市内里山辺の美ヶ原温泉では、九月の第四土曜日に「美ヶ原温泉道祖神まつり」が行われる。この祭りの特徴は、長さ二メートルほどの「男根」が神輿として登場することで、その上に乗った女性は子宝に恵まれるのだそうだ。
 一般的に道祖神は、外部から侵入する悪霊を追い払う神様として信仰されてきたもので、松本平周辺では辻(つじ)に佇む夫婦道祖神を思い浮かべるが、ここでの道祖神とは、子孫繁栄、五穀豊穣の象徴として「男根」そのものを指している。
 午後七時、花火を合図に会場の御母家薬師堂前を出発した神輿は、温泉街を巡り、午後八時頃におまつり広場(白糸の湯前)に到着。御殿太鼓の力強い演奏の後、宿泊客や夜店係の地元八十二銀行の女性職員さんたちが神輿の上に乗せられる頃には、祭りは最高潮へ。神輿がより大きく振られるたびに必死でしがみ付く光景に、見守る見物人からも盛んに声援が送られていた。

・ 薬師堂・姫薬師堂では抽選会
 薬師堂・姫薬師堂では、境内で抽選会が行われ、参拝者はくじを引くことができる。温泉まんじゅうの配布もあり!
・ ありがたい「さずかり飴」の販売
 「福子宝飴」の名称で販売されている「さずかり飴」の販売がある。男根と女陰を摸したもので、ちょっと卑猥。一本五百円、セットで千円。

この記事は、平成 11年 9月 25日現在のものです。 
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島立はだか祭り

 松本市島立 島立はだか祭り ( 1999. 7. 1 )
 江戸時代に流行した疫病除けのために、津島神社(愛知県)から勧請した島立の津島牛頭(ごず)神社で行われる伝統行事。祭りの主人公は子供たちで、親玉(六年生)が大幟、中玉(四・五年生)が中幟、小玉(一〜三年生)が五色の紙幟を担ぎ、「オンヤーサー」「モンヤーサー」の掛け声とともに島立堀米地区を回る。慣れないモッコシフンドシを付け先輩の後を歩く子供たちも、最初は恥ずかしそうだったが、次第に慣れてくるのか、元気よく掛け声をあげていた。
 祭りがもっとも盛り上がるのは、神社横に設けられた池に飛び込む場面(午後四時頃)で、初夏の陽を一杯に浴びながら水と戯れる子供たちの笑顔は、全国から集まるカメラマンたちの格好の被写体にもなっている。
 ただ、この地区でも子供たちの数が減少しており、もともと男の子たちだけの祭りだったものが、最近では女の子も参加する祭りとなった。また、宅地化が進み、かつてのような田園のなかを幟をたてて歩く、野生的な姿を見ることができなくなっている。

この記事は、平成 11年 7月 1日現在のものです。 
総合案内 / 松本平の伝統行事  


藤森吉弥作の道祖神永田村化粧道祖神

 島立町区 藤森吉弥作の道祖神
 「アルプス正宗」などの銘酒を醸造する、市内島立町区の亀田屋酒造店の入口にある双体道祖神。案内板によれば、この道祖神は高遠石工の系譜をひく箕輪の藤森吉弥(きちや)の作品とのことで、松本平に点在する道祖神のなかでも極めて貴重なものとして祀られている。
 作者の藤森吉弥がどのような人物であったのかわからないが、かつて波田町・山形村周辺が高遠藩の飛地(領地)であり、山形村などに残る道祖神の多くが高遠石工によって作られていることから、おそらく何らかの縁があって当地に建立されたものと思われる。

この記事は、平成 11年 5月 7日現在のものです。 

 島立永田 永田村化粧道祖神
 市内島立永田地区に残る、江戸時代後期の弘化二年に建立された双体道祖神。毎年二月の中頃、ここでは地区の子供たちが道祖神に彩色を施す「道祖神の色ぬり」が行われ、長い冬が終わり、春の訪れに感謝する農民たちの思いを伝える行事として受け継がれてきた。
 道祖神は、「サエ(賽)の神」「道陸神(どうろくじん)」とも呼ばれ、外部から侵入する悪霊を防ぐための神として、主に橋や辻に建てられることが多かったという。しかし、時代の経過に伴ない、道祖神を中心にして「市」が催されたり、子供たちの遊び場などに変わり、次第に子供を守る神であったり、往来の安全を祈願するためのもの、安産や豊作の神様へとその対象が変化していった。
 永田に残るこの化粧道祖神も、部落内を縦横に伸びる道路の交差点(辻)にあり、かつて村の中心に建立されていたことがわかる。

この記事は、平成 11年 9月 17日現在のものです。 
総合案内 / 松本平の伝統行事  


「ぼたん寺」で有名な玄向寺犀川通船船着場の跡

 松本市大村 玄向寺 ( 1999. 4. 29 )
 玄向寺は、もともと念仏寺・清水寺と呼ばれていたが、寛文九年( 1669 )に松本藩主・水野忠直が墓地を造るにあたり、父親の忠職(ただもと)の法名をとって寺の名称としたもの。このことから、「松本藩主・水野氏菩提寺」と伝えられているが、実際に埋葬されているのは忠直だけで、ほかは供養塔とそれぞれの御位牌が残されている。松本城を築城した石川数正の御位牌もここに祀られている。
 毎年五月に花を咲かせる、境内に植えられてた百二十種類・千二百株の「ぼたん」は有名。

この記事は、平成 11年 4月 29日現在のものです。 

 松本市白板 犀川通船船着場の碑 ( 1999. 4. 19 )
 松本市白板の「女鳥羽川」と「田川」の合流地点は、かつて松本と上水内郡信州新町を結んだ「犀川通船船着場」の跡。「犀川通船」は、江戸時代後期の天保三年( 1832 )、白板の折井儀左エ門が幕府の許可を得て開設したもので、松本名物の「押絵雛」(おしえびな)などを載せ、信州新町までの約六十キロを七時間かけて下ったという。おそらく、善光寺参拝の客も乗せていたことだろう。
 しかし、便利な「通船」も、明治三十五年( 1903 )に篠ノ井線が開通したことで廃止。今は船着場跡に記念碑だけが残されている。

<管理人ひとこと>
 さて、その「船着場跡」ですが、写真でもわかるように、ちょっと花見をしたくなるような手ごろな桜が咲くところなのですね。「女鳥羽川」と「田川」の合流した先には、島内平瀬で「犀川」と名を変える「奈良井川」が流れ、その向こうには、松本のシンボルである「常念岳」をも望むことのできるスポット。まん前はローソンもあるし。花見には申し分ない位置にあるのですね。ただ欠点といえば、車の往来の激しい国道沿いにあるということでしょうか…。ナントも惜しい限りです…。

この記事は、平成 11年 4月 19日現在のものです。 
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自衛隊松本駐屯地に咲く「ソメイヨシノ」

 松本市石芝 自衛隊松本駐屯地の「ソメイヨシノ」 ( 1999. 4. 14 )
 松本市内には、幾つか桜の名所があるのだが、もっとも手ごろに花見ができる場所といえば、石芝の自衛隊松本駐屯地ではないだろうか。地元紙の紙面を飾る、この時期の「風物詩」として、市民にはお馴染みのスポットでもある。
 夜、会社からの帰りに駐屯地の北側道路を通ると、ぼんぼりに灯りがつき、その下で宴会をしているグループをたびたび見かけた。普段はなかなか立ち入ることのできなエリアでもあるので、もしかしたら、期間限定で開放しているのかもしれない。写真は、駐屯地の東側道路から撮影した桜並木。

この記事は、平成 11年 4月 14日現在のものです。 
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